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ダイエットも乗り越えた綾瀬はるか、八重の桜の記者会見で筋トレで役作りの意気込み [ドラマ]

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女優の綾瀬はるかさんの、6日の日曜日から始まるNHKの大河ドラマ、「八重の桜」で主演を努めることに対しての記者会見が発表されました。
ayaseharuka.jpg
役作りで筋トレもやっているとのことでしたが、
綾瀬はるかさんは、デビュー当初、テレビ番組の企画で、ダイエットに取り組んでいたのですね。

大活躍の今では、想像もつかない、7キロものダイエットも乗り越えたそうですが、その後、「世界の中心で愛を叫ぶで」では、病気で痩せる役もこなし、役に対する姿勢が伺えます。

今回も、バッチリ役を決めて素晴らしいドラマを見せてくれることを期待します。
綾瀬はるか 記者会見

「八重のさくら」は会津藩の砲術師範の家に生まれた山本八重の生い立ちから、戊辰戦争を経て、同志社大学の創始者で福沢諭吉など、明治六大教育家の一人に数えられる新島襄(にいじま じょう)と共に生活する場面を描くドラマになりそうです。

大河ドラマは、
作:山本むつみ
  (ゲゲゲの女房など)
テーマ音楽:坂本龍一

らのヒットメーカーが固めているので、製作サイドの意気込みが伺えます。

今年の大河ドラマは、当初、違う話で決まっていたようなのですが、2011年の大震災を受けて東北地方の復興を願って、東北の地、会津のヒロインの話となったそうです。

八重の伴侶となる新島襄(にいじま じょう)
天保14年(1843年)1月14日-明治23年(1890年)1月23日

坂本龍馬らの時代を生き、19歳の時にアメリカへの密航(1864年)を企て翌にボストンに見事到着しています。

その後、1872年アメリカにやってきた岩倉使節団の木戸孝允に語学力に目を付けられ、正式に留学を認められた実行力のある人物でした。

山本八重(結婚して新島八重)も
弘化2年(1845年12月1日)11月3日-昭和7年(1932年)6月14日

皇族以外の女性として初めて政府から叙勲された人物でしたが、
女ジャンヌ・ダルクとも言われ、戊辰戦争では断髪、男装して、家芸である砲術で活躍し、若松城籠城でも自らスペンサー銃を構えて立てこもりました。

新島襄はアメリカ帰りのレディーファーストを身につけ、山本八重の男勝りと相性があったようです。
新島嬢はアメリカの友人宛に、八重の事を
「見た目は美しくないが、生き方がハンサム」
と手紙に書いていました。




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